1985年 ディスクシステム構想と開発 |
当時、任天堂にはとある懸念があったそうです。 ファミコンのカセットは値段が高い。この当時で5000円前後。子どものおもちゃとしては結構なお値段です。 今後うまく優良なソフトを開発し続けることができなければ、ユーザーには高価であることが 購入に二の足を踏ませる事になるかもしれない、という懸念が。 そこで考えられたのが、ラインナップの幅を広げるためパズルのようなお手軽なソフトを安く販売できないか、というものでした。 カセットの中身は半導体チップを搭載した基盤です。 この半導体チップがたいそう高価であるため、カセットの価格高騰の原因となっていました。 このためカセットでゲームソフトを販売する限り、価格を下げることはできません。 これ以外の媒体でゲームを供給する必要がありました。 最初に開発が始まったのは、ハドソンから提案されたICチップを搭載したカード型のソフトでした。 しかしICチップカード自体がそもそも高価なものであり、すぐに頓挫。 (ちなみにこのICカードが後のPCエンジンのHuカードに繋がったのかもしれません) 代わりに採用されたのが、当時MSXに使用されていた磁気メディアであるクイックディスクでした。 クイックディスクはフロッピーディスクの簡易版のようなもので、フロッピーよりも安価に製造できるのが利点でした。 その代わり、大きな欠点も抱えています。 クイックディスクはフロッピーと異なり記録内容をピンポイントで読みだすことができないため、 一部のデータだけを読み出す場合もディスク全体をスキャンする必要があります。 このためディスクの読み込み時間がとにかくかかります。 なので当初はフロッピーディスクを採用することも検討されたらしいのですが、価格が高すぎるということで 妥協案としてクイックディスクにしたのだとか。 |
ディスクカードの構造。 薄い磁気フィルム。これにデータが渦巻き状に記録されています。 | |
さて、当時のロムカセットと比較してディスクシステムが優れる主な特徴は、 1.データ容量がカセットよりもかなり大きい、 2.ゲームを記録 (セーブ) できる、 3.お店のディスクライターで書き換えでゲームを購入できる、 という3点。 当時のカセットの容量は約250キロ (ビット) 程度。 対してディスクシステムは両面で1メガ (ビット) です。 しかもディスクを入れ替えられるという仕組み上、枚数を増やすこともできるため、実質無限大。 もっとも2枚組以上で発売されたソフトはありません。前後編に分けて発売したものはありますが…。 (任天堂非公認のゲームソフトでは2枚組のものが存在します) またデータ容量に余裕ができることにより、これまで容量不足であまり注視されてこなかった「音楽」も期待できると考えられ、 ディスクシステムでは新たな音源が1つ搭載されました。 これまでのファミコンの3和音(+ノイズ音)から、4和音(+ノイズ音)へパワーアップ。 しかも追加音源はファミコンの音色とは異なる、ディスクシステム独自の特徴的な音色です。 ちなみに読み込んだデータをゲーム機本体に一時的に蓄えておくためのメモリ(バッファRAM)もディスクシステムは大きい。 RAMアダプタという名は伊達じゃない…!? 例えばザナックはカセットで発売(※海外)された際、カセットの容量自体は半導体の大容量化で問題はなかったが、 カセットから読み込んだゲームデータを置いておくためのゲーム機本体側のバッファRAMが ファミコン (NES) はディスクシステムよりも小さいため、 敵の爆発パターンなどいくつかの演出を削ってRAM容量を確保したそうです。 |
1986年 ディスクシステム、発売 |
これまでに無い画期的なゲームの売り方、ディスクライター |
ディスクシステムを象徴するものといえば、ディスクライターでしょう。 ディスクライターとは、お店に設置された大型のゲーム販売機です。 これにユーザーが手持ちのディスクカードを持っていくことで、その中身を新しいゲームに入れ替えることができるという機械でした。 これは画期的なソフトの販売方法でした。書き換えの価格はわずか500円。 それまでゲームソフトは、ソフトそのものをお店で「買う」のが当たり前でしたが、 ディスクライターは言わば500円でゲームを「交換」するというようなもの。 高いお金を出してパッケージ丸ごと買う必要が無いため、お財布に大変優しい。 消費税導入後(3%)も、書き換え料金は500円のままでした。税込500円。 ちなみにゲームソフトそのものの料金は500円ですが、一部の取扱説明書は別売りであり、ソフト代500円に加えさらに100円が必要でした。 ゼルダの伝説や謎の村雨城にリンクの冒険、メトロイドやにきね子IIなど、厚手で上等な説明書が用意されていたゲームがその対象でした。 この画期的なディスクライターによる書き換え販売。 サービス開始に至るまではやはり紆余曲折あったようです。 当然のようにおもちゃ問屋は猛反対。 ディスクライターで販売するということは、ゲームデータだけの販売となり実際の品物 (パッケージされたゲーム) が動くわけではありません。 ユーザーとお店(任天堂)との直接取引となり、中間流通の問屋には一切お金が入りませんから。 逆にユーザーと販売店にはメリットがありました。 まずユーザー側に限れば、なんといってもその価格。 書き換え料金はパッケージゲームでは考えられない、500円(+説明書代100円が必要な場合あり)という破格の安値。 そしてユーザー・販売店両方でのメリットは、ソフトの在庫に悩まされずにすむという点です。 お店は売れるか売れないか分からない在庫を抱えずに済みますし、ユーザーは在庫切れで欲しいソフトが買えない、 という事態を回避できます。 この「書き換え」という販売方法は、ゲームがヒットする (すごく売れる) 可能性が問屋の販売数予想に左右されず ユーザー側にゆだねられていたというのが珍しいところでしょうか。 「パッケージのソフトだってたくさんのユーザーが買えばヒットするじゃん」 基本的に最初の生産数は、発売前におもちゃ問屋からメーカー側にどのくらい注文が入るかで決定されているそうです。 なので発売後すぐ売り切れてしまったソフトは実際の販売数よりももっと沢山売れた可能性があったわけですね。 「あれ?売り切れるほど人気が出たら、当然再生産するでしょ? で、それが売れるでしょ?」 なので売り切れたからといって再注文をかけ、 生産を行ったとしても、それがお店に再入荷するのはかなり後の事。 (Webサイト「ポン吉のゲームコーナー」さんによれば、 発注から納品までが1ヶ月、しかも生産が間に合わないのか一度に全部は納品されず、1ヶ月おきの分納になることも多かったらしいです) 時間がかかりすぎるので、その頃には多くのソフトは人気が落ちているでしょう。 下手するとお店は大量に在庫を抱えることになってしまいます。 さらに再生産する場合にも、ある程度まとまった数を任天堂に発注する必要があるので 資金力に余裕のないメーカーは問屋から注文が上がっても発注自体が出せない… 発注しても時期を逃せば大量に在庫を抱えてしまうこととなるので 下手すればそれが元でメーカー廃業の危機……なんてこともあったらしいです。 なのでそこそこ人気はあったはずなのに生産本数が少ないというレアソフトなんかはこういった事情も関係していそうです。 昔のゲーム雑誌にはカセットソフトの再出荷リストが載っていますが、基本的に大手メーカーのゲームが中心でしたし。 小さいメーカーのソフトでも人気があるものはもちろんありますから、 もしたくさん作ってさえいたら実際には大ヒットしていたものもあるかも!? そして続編も作られて… 妄想はともかく。 長くなりましたが、ディスクライターの導入により このような生産の問題がクリアされるため、ユーザー側も売り切れで買えない、ということがなく、 また販売店も不安定な在庫を抱えなくても良い、という画期的な販売方法となるのでした。 さて、ここまでメリットを挙げましたが、ディスクライターによる書き換え販売はイイコトばかりというわけでもありませんでした。 もっともそれはユーザー側ではなくメーカー側から見たデメリットです。 書き換え料金は基本的に500円。とにかく値段が安い。ユーザーからしたらとてもありがたい話なんですが、 この500円を販売店・任天堂・メーカーで分け合うので、メーカー側としてはあまりうまみがありません。 ディスクシステムの衰退はカセットの技術が向上したことが主な要因とされますが、 そもそも「ディスクシステムでは儲からない」という身も蓋もない事情も、 メーカー側からディスクシステム離れを引き起こした無視できない要因だったそうです。 メーカーが年間に発売できるファミコンカセットのソフトの本数には 任天堂から制限が設けられており、自由に作って売ることはできませんでしたが、 それでもディスクカードの書き換え販売を行うよりはカセットのほうが儲けが大きかったそうです。 メーカー側の利益を増やすため、後に任天堂は書き換えソフトの新作を600円に上げましたが、 メーカーの関心を引くには至らなかったようです。 なお販売店側にもデメリットは一応あったそうです。 ディスクライターの設置のための面積が必要であることと、書き換えのためにディスクライター操作が必要であるという店員の負担。 |
写真を見ると書き換え対象は9タイトルだけのように見えますが、 これはあくまで正面パネルの演出。 ディスクカードカレンダー(書き換えタイトル一覧表)を見るに、 実際には常時60本程度が用意されていた模様。 書き換え時には希望するゲームデータが入ったソフトパックを ディスクライター本体にセットして書き換えを行う。 なおソフトパックの到着日は 地域によりまちまちであるため、 書き換え開始日よりも早く到着する店もあれば 遅れてしまう店もあったとのこと。 任天堂、メーカー、おもちゃ問屋、販売店でそれぞれお金を分け合います。 この配分の比率はすべてのソフトで一定だったというわけではなく、メーカー、生産本数、時期によっていろいろ変化していたようです。 とある定価約6000円の大量生産されたファミコンソフトを例に挙げると、 任天堂の取り分がロイヤリティで2000円近く。販売店がおもちゃ問屋から仕入れる価格が約3600円程度とのことです。 なおゲームソフトの製造は一部の優遇メーカーを除いてみんな任天堂が行う仕組みだったため、 製造委託費も別途必要だったとの話も…。 ちなみにメーカーが製作したゲームなのに、その著作権は任天堂と共有する契約だったそうで。ディスクシステムのOS上で動作するためという理由なのだとか。 |
ディスクシステムの弱点、違法コピー |
ゲームではないソフト |
ファミコンのソフトには『けいさんゲーム』のような、ゲーム娯楽以外の目的のソフトが存在していますが、 ディスクシステムにもこのようなソフトがいくらか登場しています。 手芸の補助用ソフト『アイアムアティーチャー』シリーズ。 英語学習を兼ねた『マイケルEnglish大冒険』。 さらにゲーム内での学習だけで完結させず、本やオーディオテープといった他メディアも組み合わせたメディアミックスの手法を取り入れた サンソフトの『知能ゲーム』シリーズ さらにその延長線上には国税庁主導で開発され、税金の展覧会でお披露目された『惑星アトン外伝』。 ほか『タロット占い』『サンタクロースの宝箱』といった、いわゆるゲームとは主旨が異なるような特殊なソフトも。 こういったソフトが作られたのは、テレビゲームは子供に悪影響を与えるものという認識を逆手にとって、 「子供のためになるソフト」であれば手に取ってもらいやすいだろう、 という発想があったのかもしれませんね。 ちなみに販路も例外的なものがあり、通常のおもちゃ屋以外のルートで販売されたソフトもありました。 『知能ゲームシリーズ』は一般のおもちゃ屋のほか、郵便局でも取り扱いがありました。ハイテクゆうパックという 通信販売の対象にこのシリーズが含まれていました。 『アイアムティーチャー』に至っては、おもちゃ屋での販売は無く、手芸関連のお店での取り扱いとされています。 |
『でる順・偏差値アップシリーズ』第1作目。 この後、地理・歴史・算数に理科、さらにはフランス語やドイツ語まで、 次々とシリーズ化する予定だった。 しかしいずれも実現せず、これ1作で終了。 |
1987年 ネットワーク構想の実験とディスクファックス&青いディスクカード |
1989年 ディスクシステムの限界が発売本数に現れた年 |
ディスクシステムの利点は、 データ容量が従来のロムカセットよりもかなり多く、ゲームを記録 (セーブ) でき、さらにパッケージを買わずともデータの書き換えだけで新たなゲームソフトが格安で購入できる、 という三点です。しかし早くもディスクシステム発売の翌1987年にはカセット側の性能がディスクシステムに追いついてしまいました。 半導体の性能が上がり、大容量チップの値段も低下。これによりディスクカードの容量を超えるカセットが登場。 そしてバッテリーバックアップ機能を搭載するファミコンカセットも同じく1987年に登場。しかもディスクと違って読み込み書き込みも一瞬。 これでディスクシステムの利点は書き換えにより安くソフトが購入できる、という一点になってしまいました。 さらに身も蓋もない現実を挙げれば、ディスクシステムよりもカセットでソフトを供給する方がメーカーの利益が大きい、というのが何より大きな要因だったのかも。 1987年は約70本、翌1988年は50本以上のディスクシステムソフトが発売されましたが、 1989年には20本と一気に勢いは衰えてしまいました。 |
1990年 ディスクシステムの復権を狙った任天堂の策 |
ロムカセットの大容量化、さらにバッテリーバックアップの搭載によってゲームデータのセーブが可能になったことで ディスクシステムの利点は薄まってしまい、すっかり勢いがなくなっていた1990年。 しかも年末にはスーパーファミコンの発売を控えていました。 そんな状況に置かれたこの年、任天堂はディスクシステムの再起を図ろうといろいろな動きを見せました。 「現在は大容量ロムカセットを生かした大作がソフトの主流となっている。なのでディスクシステムは手軽にゲームを遊ぶためのハードと位置付ている」 (任天堂 広報 1990年6月) ディスクシステムが未だにカセットに勝っている利点は2つ。 1つは世界的な半導体需要により価格が高騰しているロムカセットに対して、その10分の1以下となるわずか500円(書き換え購入の場合)でゲームが買えること。 パッケージ販売の場合でもほとんどのソフトは3000円未満です。 そして2つめは書き換え販売の場合、物品ではなくデジタルデータの供給であるため、品切れが発生しないことです。 まずはナムコ・ハドソンの旧作カセットがディスクシステムの書き換え専用ソフトとして移植されました。 この頃の中古ソフト市場は未成熟で販売店の在庫はユーザーからの買い取りに頼っていた状況。 店ごとに在庫の状況はバラバラで、欲しいソフトは手に入り難い状態でした。 また仮に中古ではなく、新品カセットとして再販しようにもこの頃は慢性的な半導体不足に陥っており、カセットの価格はかなり高騰していました。 わざわざ大きな売り上げが期待できない過去のソフトを再販するために半導体のカセットを使うのは二の足を踏む状況です (※もちろん再販されるカセットソフトもありました。その大半は大手メーカーの有名なソフトでしたから、再販でも一定の売り上げが期待できたのでしょう) 。 書き換えによるデータでの販売となるディスクシステムはまさにこの状況にうってつけ。データ販売なので当然 品切れの心配も価格の高騰もありません。 ちなみにファミコンソフトを販売するメーカーは沢山存在しているのに、なぜ選ばれたのがナムコとハドソンだったのでしょうか。 実はこの頃、任天堂は両者との仲が悪化していた (※右の欄外参照) 頃で、その修復を試みる一環でもあったようです。 任天堂はスーパーファミコン本体の発売を目前に控えていましたし、 この両メーカーのソフトをスーパーファミコンにも供給して欲しいという目論みがあったことは想像に難くありません。 幸いにして関係修復が叶ったようで、その後スーパーファミコンでナムコ・ハドソンのソフトがたくさん発売されています。 さて。手軽なゲームを遊ぶためのハード、という任天堂の計画に則り、お手軽に遊べる新作ソフトも製作されました。 6月にテトリスの作者 アレクセイ・バジトノフ氏の新作パズルゲーム『ナイトムーブ』を発売。 同年9月には同じくテーブルゲーム系ソフト『バックギャモン』もリリース。 また、この活性化策の一環であるかは不明ですが、 この年、ゲーム専門誌『ファミリーコンピュータマガジン』が読者からディスクシステムソフトのゲームアイデアを募集。 ファミマガディスクシリーズと銘打ってこの年から実に約2年に渡り6本の新作ソフトを発売しました。 このほか、サウンドノベルの開発も企画され、糸井重里氏(の会社APE)や 有名な作家、クリエイターなど幾人にもオファーを出していたそうです。 当時の噂ではいとうせいこう氏の名も挙がっていたのだとか。 しかし結局、このサウンドノベルの企画は中止になったようです。 スーパーファミコンの発売直前の頃ですし、やはり新しいハードのほうに注力したのかも。 ちなみに翌年、任天堂からアドベンチャーソフトの『タイム・ツイスト』が発売されています。 もしかしてサウンドノベルの企画の名残なのかも? 何らかの催し物のために任天堂が提供したものと思われます。…案外自社の何かのイベント用かもしれませんが。 使用目的は不明ですが、時期が時期だけにディスクシステムを盛り立てようとする一連の流れのひとつなのかもしれません。 |
ファミコン必勝本1990年5月4日号の記事 こちらもファミコン必勝本1990年5月4日号
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1991年 新作ソフトの書き換え料金が600円に |
1993年 店頭のディスクライターの引き上げ |
2003年 書き換えサービス自体の終了 |
店頭のディスクライター引き上げから10年。
任天堂の本社・支社で行っていたディスクカードの書き換えですが、
2003年9月30日到着分を最後に終了となりました。
終了直前にはこれを惜しむユーザーより全国からディスクカードの書換申し込みが殺到したようで、 書き換え作業そのものは締切から1ヶ月経過した10月30日もまだ行われていたことが確認できています。 |
終了のお知らせ (クリックで全体を表示) |
2007年 そして本体の修理サポートが終了 |
ゲームソフトの書き換えは2003年に終了しましたが、実はディスクドライブの修理はまだ行われておりました。
しかし2007年10月31日にその修理の受付も終了に。
なおこのとき終了となったのはディスクシステムだけではありませんでした。
ファミコン、スーパーファミコン、Nintendo64等のいくつかの古いハードもまとめて終了となりました。 なお部品に関しては、修理サポート終了後も在庫が残っている限りは 問い合わせてきたユーザーへ販売していたとの話もあるようです。 |
ディスクシステムソフトの復活? |
バーチャルコンソール対応タイトルは少しずつ増えているとはいえ、それほど多くはありません。
このようなフロッピーディスクタイプのゲームソフトとしてはPC各種やMSXなどと比べても販売数が飛び抜けて多かったディスクカード。
このため30年以上経過した現在も現存数は多いようですので、
実際のディスクカードを生かして遊ぶハードウェアが登場してくれると嬉しいところなんですが。 |